「ごめん」
 
 
 
 
 
 
  しばしの沈黙の後009は謝罪を口にした。
「何、謝ってんだお前は」
「僕は、未来で 戦いたくないって言った」
「ああ…」
009の言葉にわずかな自嘲的な笑みが自然と浮かんだ。
「でも、お前はこっちに戻って戦った…。それで十分だろ」
「004」
呼びかけられる声が004には何故かひどく懐かしく感じた。
まるで、本当の名前で呼ばれたときの様に。
「君、あの未来を見て・・・どうおもった?」

上空に広がる星空を見上げながら004は009の言葉を聞く。 

どう、思った、か・・・。  
 
009の言葉に004は自らも見た未来の世界を思い出す。 
 
「・・・・頭が空っぽになったな」  
    
頭が空っぽになってむなしくて、気持ちが麻痺していた。
何故戦うかとか建前やきれいごともいえなかった。
同時に、人間であった頃のドイツも思い出した。
正確に言えば、”彼女”とともに 西へと逃げようとしたあのときの事。
しかし思い出しはするのに、どうしても、実感がわかなかった。 
”ここが未来です”と言われて。

へぇ、ああ、そう・・・・・・・・・そうか。・・・・・・・・何かのアトラクションか?
そんな感じだった。
「今も、頭が空っぽだ」
何の実感もわかなくて、何も考えたくなくて…
宇宙まで飛びたって、深海までもぐって、大空を駆け抜けて、  
世界をめぐったのに。
戦ったのに。  

 
そのときの感覚がよみがえっているのか、昼間の疲れが出ている所為か、
「僕もだよ」
009の声ひどく懐かしく感じられた。
昼間もその声を聴いている。
日本にいる間や戦闘中いつも聞いている声のはず。


なのに、009の声が随分懐かしかった。

「それで、気が付いたんだ」
声がまるで絵本の読み聞かせられていた時の声の様に感じた。

「僕は、何の覚悟も出来てないって…」
「何言ってんだお前?」
 009の言葉に間髪おかず、004は言った。  
 正直、何の覚悟もしていない奴が、BGの総帥と戦って無理心中しようとしたり、ドイツの古城で 004の偽物相手に無理心中しようとしたり…
「…痛って!なんだい、いきなり」
 思わず004は009の頭を軽く殴った。
「お前のどこが何の覚悟もしていないって?」
 あほか。あほなんだな。すまん悪い。と心で思った。
 何か悪口を言われていることを察したのか009は、君、失礼な事思ったろ…と呟くが004は無視だ。
「そういうのじゃなくて…」
 ええっと、うまく言えないんだけど…と009は小さく呟く。
「あんな未来がくる可能性なんて、考えたことなかった」
「みんなそうだろ」
明日世界が終わる可能性を、どれだけの人間が考えて生きているか。
どんな原因で世界が終わるとしても、そんな未来が来ると知っていて何もなかったふりをしながら 戦えるやつなんていない。
戦いが終わる度、全員の無事な姿を見るたび、思い知って心に決めて それでも、一瞬でもいいから忘れていたいと思う。
戦場を経験すれば、時々 現実がどれ中のかわからなくなる。
酒におぼれたりドラックにおぼれたりギャンブルから抜け出せなかったりする原因の一つだ。
忘れていられる。
一瞬でも。
そうでなければ、生きていられない、
悪い意味で興奮が冷めない。
悪い意味で頭の中で殺した目玉がこちらを見る。
恐ろしいことに、それが 現実だ。

009の居心地の悪そうな様子に004は、確かに、考えると彼の戦う姿は
覚悟というよりは常に必死なんだろうと思う。
「でも、君も見ただろう。あの未来を」
淀んだ空気、暗い空、仄暗い世界。黒い雨。
「…僕は、怖かった」
 薄暗い言葉に004は何も言えない。
009があの時、”戦いたくない”と言った時、何も言えなかった時の様に。
「僕らは何も変えられないまま、僕らは負けて死ぬのかって…だからあの時思ったんだ」
ふと、009の言葉が004の中でいくつもの記憶を呼び起こす。それの中に








「あの世界に居れば 皆は死なずに済むかもしれない」











共に壁を越えようとした「恋人」がそこにいた





トラックに乗り込み、エンジンをかけ、、緊張のあまり手袋がもどかしい感触を 今や感覚の鈍くなった手でも 思い出す



死ぬのは怖くはなかった。
   痛みもきっと怖くなかった。
 

「結局、皆、戻ってきたけどね」
はは、と009は笑った。
忘れたことなんて一度もない。
 
けれど、それなら 
「…僕らが負けて、死ぬことも」
頭の隅でぼんやりと、いくつもある選択肢の中から一つを選ぶと、とんでもない痛手を負うのはわかっている。
「いつかは、誰かがかけることもあると……僕は忘れていた」
わかっていた。
知っている。

「いつか来るかもしれない孤独を」



人間は孤独になる恐怖を

忘れる呪いにかかっている。


「改めて思い知ったんだ」

 
   壁を越えられない覚悟。 死ぬかもしれない覚悟。

「覚悟って言うのはさ」
 
 死ぬのは怖くはなかった。 痛みもきっと怖くなかった。

 
  「死ぬだけじゃなくて、これまでの戦いが無駄になって…自分の一歩が もっと状況を悪くする可能性を考えることだったんだなって」

  覚悟
 
 
壁を越えられない覚悟。
死ぬかもしれない覚悟。
 
死ぬのは怖くはなかった。
痛みもきっと怖くなかった。
 
それは、「彼女と」だったから 「彼女が一緒」だったから
あんな壁に囲まれた場所でも どんな場所でも ”彼女”といれば
 
  でも、
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  片方が死んで、片方が生き残って機械の化け物になるなんて
 
  思いはしなかった。
 
 
 
 
 
 
 
  悔やんで嘆いて罵って
 
 

覚悟とはいったい何だったのか。 
 
 
 
 
 
 
「…君は、聞いたよね 皆が死んでも、一人になっても 戦えるかって」
 
 
 

わずかに頭をずらして顔を009の方へ向ける。
彼は真っすぐに 暗い空を見上げていた。
 
 
 
 

「…正直分からない」
 
 
 
 
 
 
そのままこちらを見ることはなく真っすぐに。
009は胸に手を当てて服を握りしめていた。
 
「君たちに置いて行かれて、一人立ち向かう世界でも、君たちを置いて一人で死ぬ未来で」
009の声を聴きながら 004は目を、閉じる。
「僕は、本当に戦えるのか」
   
ずっと、後悔している。
わからない。

「…泣くと思う」
ずっと、悲しみややり場のない怒りが消えない。
「きっと涙が止まらないと思う」
ずっとずっと、 心の中に 穴が 開いている。
「なんで泣いていたのか、忘れてしまうほどに」
 
その穴の中に、機械仕掛けの命が何かによって螺子を回している。
 
「一人になっちまったら、逃げたっていいんだぞ。だれも見ちゃいないし」
「きみ、僕に戦ってほしいのか、逃げてほしいのか、どっちなんだよ」
ははは、と笑う009につられて004はふっと笑った。
本当に、どっちなのか、004もわからなかった。

 ただ、思う。
「だけど、思うんだ」


009と004の思考が一瞬だけ重なり

「僕の居場所は、ここだって」
そして離れた。


 
彼女を死なせてしまったことを。
さみしさやくるしさが込み上げてこないかわりに、
彼女は、どうだったんだろうか。と
  思うような余裕が、わずかに生まれるようになった。
 
   正しい答えはない。
  
記憶の中にいる彼女でしか、その答えを返さない。
しかし、彼女は何も答えない。

それは004にとって都合のいいものなのか、それとも、贖罪と断罪なのか
今も、その記憶の中にいる彼女は答えない。 
答えてしまったら、彼女が消えそうな気がして
彼女を忘れそうな気がして
 
 
 
いつだってひどく 怖かった。
一日一日が、過ぎるたび
悔やむ心が

苦しんでいた 心が
 
日に日に、 何も感じなくなっていくのが 怖かった。
自分の 過ちを 忘れて しまうのが嫌だった。
 

いくつもの 自らの感情が渦巻く中、
 
「どっちにしたってお前は 泣くんだろうな」
004の中の”009”はその未来を 嘆き悲しんでいるような気がした。
「なんだい、僕。そんなに君の前で泣いてたっけ」
心外だ。とでもいうように少しばかり声を強めて、そんなにないはずだよ、と 唯一動くという左手を空に掲げて、009はうーん、とうなり数え始めた。
「…誕生日の日、教会で、1回」
「数えるなよ」 
  思わず笑うものの、目を閉じたままの004は、その時のことを思い出す。
 
そのころにはもうすでにBGを倒して、004はドイツと日本を行ったり来たりしていた。 随分、009との付き合いも長くなっていた。 
「…機械都市で1回」
003扮したコピーのロボットが009をかばって自爆したときだ。
あの時は、全員に見られたんじゃなかっただろうかと思い出す。
人目もはばからず。

「……賃貸アパートの部屋で、一回…」
時間軸がバラバラだな。と思いながらもたぶん、009はあまり数に居れたくなかったのだろう。 というか、数を数えたことに後悔真っ最中だろう。


加速装置のメンテナンストラブルの時。009は一人、部屋を借りて研究所から離れていた頃だ。
しかし、004は条件反射的にその次の日の出来事を思い出し、
「3回だ」
 
本当なら、4回以上は思い当たるものの、
009の口から4回目に当たるその出来事が出る前に、言葉を遮って回数を確定する。
「え…」
と小さく驚いたような声に 目を開けてちらりと横を見れば、気まずそうに004を見る009がいて 二人で暫し沈黙する。
その視線に耐えきれなくなった004は。
「…あれは、その…あー、よろめいたんだ。その、睡眠不足で」
別に今はその時の話をしているわけではないのだが
   009に言われるより先に004は半ば強引な言い訳をしてみる。
 
「え、ああ…うん。ごめん。そうだね。そうだよ。前日に畳の上で、布団も引かずに 雑魚寝させたし。君、 本当はドイツに帰る予定だったのに、えっと…その次の日、出かけてたみたいだったし、悪かったね。 うん、その通りだよ」
 
009も同じようにしどろもどろに答えた。
お互い あまり口にできない出来事で ただ、その、物の弾みであって そこまで後ろめたい出来事ではないと思っている。思…いたい。
 
 
よろめいただけだ。ただそれだけ。
…それだけ。
004は心の中で繰り返す。
あたりは夜でまさに波の音だけの静かな世界なのに、頭の中ではリオのカーニバル位の大騒ぎである。
…いや、リオのカーニバルは祭りだから、この場合浮かれているときに使う単語か?
正しい例えが全く思いつかない004だったが
 
   そもそも、考えてみれば、その賃貸アパートの出来事も十分気まずい出来事ではあるはずだ。
   そっとしておいて欲しい、一人にして欲しいからわざわざ一人を選んだ009を無視して、
   004は結局、放っておけず部屋まで押しかけたのだ。
   傍から見れば、丸く収まったからよかったものの、暴走もいい所だ。
   改めて考えて冷静ではなかったな、と004は反省する。
  (…いや)
   本当に、丸く収まったかは 定かではない。
     なにか、妙な…
   未だ、その妙なものの真意を004は009に対して露呈していない。
   009もそれに対して特に追究することもなく、その話題をさけていた。
    「と、とにかく3回だ」
  「う、うん!3回!…………さ、3回?! 結構多い!」
  「うっかり10回くらいあるんじゃないのか 節約しろ」
  「水道扱い!!」
  「水道?消火栓の間違いだろ」
  「出し過ぎ!人吹き飛ばせるよ!酷い!」
   と009と抗議したところで004は噴出し笑い出した。そんな004に呆れなが ら
  「…真面目な話してたはずなんだけど」
  「お前が脱線させたんだろうが」
だが、おかげで004の中の渦巻いていた薄暗くて泥臭い感情が少しずつ和らいでいた。

それでも

彼が、生き残れば


 自分と同じように苦しむかもしれない 
 
  ―――――だから、 死ぬのが、怖い。

 彼を、失えば



 再び、あの苦しみが戻ってくるかもしれない。
 
 
 
 
 
 
 と、僅かに004は思ってしまった。
 
 
 残すことも、残されることも
  寂しくて 悲しくて、苦しくて・・・・・・・・
 一日一日が、過ぎるたび
 壊れきれない自分に失望して、悲しんでいた事実が嘘みたいに消えて
いつの間にか、そんな悲しさや寂しさを感じていたこと自体 忘れるんじゃないだろうかと。
 
 

 
「その時にならないと、はっきりしないけど」
 きっと…泣くと思うよ…それこそ、消火栓が壊れたような感じで。と009は呟いた。
 きっと止まらない。涙が。叫び声が。仲間を呼ぶ声が。

 泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて

「でも」
 彼はつづけた。


 
「泣き飽きたら、 戦うよ。終わるまで、がむしゃらに」
 辛くても。
 苦しくても。
 死ぬかもしれなくても。

 全部全部後悔して 泣いてわめいて 逃げ出したくて
   仲間の欠片を抱えながら、それでも

「僕らの時代には終わりは来なくても」


 悲しくて くるしい。


 
夜眠るたび思い出して、夢で思い出して
朝が来て

誰もの居ない世界で 自分ひとりが目が覚めた時
自分だけがいない世界で、誰かの目が覚めた時、








せめて、今日の事を思い出せたらと思う。

















「ああ、眠そう。ここで寝ていいかな、ほっちらかしてれていいから」
 時間はすでに深夜3時前だ。
「ほかの皆は僕が常習犯だから、怒りもしないよ」
「無用心だな、相変わらず」
 004は言葉なく、呆れた様子だった。
確かにめったなことでは 他者はこの領域には立ち入らない。ただし絶対でもない。
 普段の009ならそれでもいいかもしれないが……
寝転がっていた状態から004は起き上がると009を見下ろす。
 ぱらぱらと004の服についていた砂がこぼれ落ちた。
「ああ、何もしなくていい!お姫様抱っこ嫌なんだよ」
 無言で近づいてきた004が何をしようとしているのかを察した009は
唯一動く左手で004を押し返す。
「だが、左手だけしか動かんのだろうが」
「匍匐前進するよ!」
「やめろ、都市伝説が始まる」
 絵面が怖い。
「都市伝説始まったほうがまだいい!」
 何が悲しくて、男に横抱きにされなきゃならないのか。抵抗する。
「今、もしお姫様抱っこしたら、体が元に戻った時、君にするよ!」
 なけなしの抵抗の言葉だ。
「やめろ、絵面的に放送事故かと思われる」
 だが、案外効果があるようで、004は露骨に顔を歪めた。
「僕だって同じだよ!」
 深夜であるにも関わらず、二人はそんなじゃれあいをした。
ふと、じゃれあいの中004は咄嗟に置いた009の胸の中心部に、何か彼の体とは違う 何かを感じた。
「お前、なんかつけてるのか?」  何気なく口にした疑問に009は一瞬停止した。
眼をさまよわせ、言葉がすぐに見つからないのか、あー、えーとと言葉を探している。
思わず眉を潜める。
004はすぐにその正体に行きつき、あー。と009と同じように何も言えなくなった。
「み、未来にも持って行ってたのか」
質問ではない。ほぼ独り言だったが009は完全に金魚の様になって口をパクパクされていた。
「いや、これは…た、たまたまなんだけど…その」
「弾だけにか…」

更に009が、うぎゃ―!!と叫ぶのを見て、004は自分で墓穴を掘った、と片手で自らの顔を覆う。そして同時に008が呟いていたことを思い出す。
「009はいつか、戻ってこない」という言葉を。
けれど、「そうでもない」と言えるのではないかと思う。



彼が首から掛けて持つ、004の銃弾の弾がある間は






少しばかりうぬぼれていようと004は思った。







next